2018/11/02 16:41


秋田県のみなさん、こんにちは。
まだ私の事を知らない方も、今後知ってくれる方も、今現在支えて下さっているお客様も、このブログに辿り着いてくださりありがとうございます。
なぜ私がここまで服にしがみつき、社会に出てから一貫して服を生業にしているのか。少し語りたいと思います。
私は30数年前に、ここ湯沢市という小さな小さな街に産声をあげました。オカッパ風あたまにされていたのでよく女の子に間違われていたみたいです。誰の影響で、いつから服に興味をもったか定かではありませんが、母親によると物心ついたあたりから朝の洋服は自分で決めていたそうで、この子はそっちの道なのかな?と思ったと言います。祖母は洋裁をやっており、母親も洋服が好きでした。その遺伝子は少なからずあるのかなと思います。小学生になると自分よりオシャレだったり、新しい服や靴を身に着けている友人や先輩を見ると嫉妬を覚えたのを今でも鮮明に覚えています。でも簡単には買ってもらえない。少ないおこずかいじゃ買えない。どうやったら他人よりお金をかけずオシャレになれるのか?全ての原点はここから始まった気がします。うそです。モテたいからです(笑)今現在、消滅可能都市と認定されたここ湯沢市でも当時は服屋がひしめき合っておりました。素敵なショップ店員さんがわんさかいました。服の知識と人生を学ぶ。こういう大人になっちゃいけないと学ぶ。今そういう大人(笑) そこをチャリで何軒もまわる。足で稼ぐ。みたいな。これが中学まで続きましたかね。実は今店舗を構えているこの場所も、当時通っていたショップの内装の名残がそのまんまで運命を感じて即決したという流れがあります。そして高校はみんなで電車で1時間かけて秋田市に買い物に。ネットなんてありませんでしたから。物欲のカタマリですよ。行きはギラギラしてました。帰りの電車なんてみーんなショップ袋何個もぶら下げてギュウギュウで帰ってましたからね。2~3両編成(笑)今じゃ考えられない光景です。そして将来を見据えなければいけない時期に差し掛かり、コンビニでたまたまファッション誌を見ていたら、一般人や販売員に混じってなんだか異彩を放つかっこいい大人がストリートスナップを撮られているじゃありませんか。職業「スタイリスト」。うわーかっけー!これになりたい!と体中に電気が走ったような衝撃にかられました。そこから田舎の先生も親も説得できるはずもなく、秋田からスタイリスト―??バカ言ってんじゃないよ~ん的な雰囲気。生前、親父には恐すぎて言えませんでした。男は見た目より中身だ!みたいな方でしたから…磯野波平みたいな。こら、カツオ―!それでまぁ義理は果たし、だいぶ遠回りはしましたがやはり夢は諦められずに、文化服装学院に入り、コネクションを作り、念願のスタイリストのアシスタントになることができました!
しかし…人生そんなに甘くありません。続きはまた今度。